[感想]「お梅は呪いたい」/藤崎翔:呪いの人形「お梅」が500年の時を経て現代に解き放たれるが…人間を呪うどころか逆に幸せにしてしまう!?笑いあり、涙あり、伏線回収ありのハートフルコメディ

読書

こんにちは、ラパンです。

この度は、藤崎翔さんの「お梅は呪いたい」という小説を読みました。

読んでみた結果、めちゃくちゃ面白かったです。

タイトルからわかると思いますが、物語の中心人物は戦国大名を滅亡させた恐ろしい呪いの人形「お梅」。そのお梅が500年の幽閉から解き放たれ、ひたすらに現代人を呪い殺そうとするお話です。

それだけ聞くと怖いですが、実はそんなことなくコメディ要素満載の作品なんです。コメディという点から言うと、大きく分けて2つの魅力があると思います。

本作の魅力1つ目はお梅は本気で呪おうとしているのに、お梅の意に反して(時に間違えて)、現代人を幸せにしてしまう展開です。これがこの物語の一番の見どころだと思うのですが、「えっ、このお梅の行動がこう繋がるの?」という内容や思いもよらぬ急展開にはクスッと笑ってしまい、引き込まれること間違いなしです。

これもお梅が本気で呪おうとしているからこその面白さだと思うのですが、悉くうまくいかない様子は恐ろしい最低な呪いの人形のはずなのに応援してしまいたくなるかも?それくらいお梅が魅力的なんです。

そして本作の魅力2つ目は、お梅の視点で見る現代社会やトイストーリーやチャイルドプレイのチャッキーなど同じ動く人形へ思う事など、お梅の独特な感性や考え方が垣間見える点です。それらについてはこの後、詳しく解説していきたいと思います。

そして、後半に近づくにつれて、笑いだけでない感動も?

作中には伏線が散りばめられており、それらが繋がっていくのも気持ちいいですし、読み終えたらきっともう一度読み返したくなるのではないでしょうか。

このように語り尽くせないほどの魅力が詰まった作品です。

それでは、本書の魅力を詳しく解説していきたいと思います。

~作品情報~

題名:「お梅は呪いたい」

著者:藤崎翔

出版:祥伝社

ページ数:284ページ

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目次

  1. 呪いの人形「お梅」が現代人を呪うつもりが幸せにする!?笑いあり、涙あり、伏線回収ありのハートフルコメディ
    • 私が読んだ動機
    • こんな人にオススメ
    • 作品説明
    • 凶暴で恐ろしい呪いの人形なだけじゃない!感情豊かで愛おしさすら感じるお梅の魅力を伝えたい!
    • 呪おうと思っているのに……全てが裏目にでる展開はくすっと笑えるし、呪いの力によって起こる思いもよらぬ展開は心から楽しめる
    • 後半はまさかの感動で涙?人生の悲喜に触れ、人生の本質について考える
    • 様々な伏線回収とシリアスな笑いも魅力的!もう一度読み返したくなるかも
  2. まとめ

1.呪いの人形「お梅」が現代人を呪うつもりが幸せにする!?笑いあり、涙あり、伏線回収ありのハートフルコメディ

私が読んだ動機

  • タイトル名、カバーのイラストに惹かれたから
  • 本作のあらすじを読んで、面白そうだと思ったから
  • 全国の書店員さんの評価が良く、読んでみたいと思ったから

こんな人にオススメ

チェックポイント
  • クスッと笑えるような小説が読みたい人
  • 物語が色々な場面で繋がるような伏線回収がある小説が好きな人
  • 呪いの人形「お梅」が人を呪うことが出来るのか含め、お梅に興味がある人
  • なんのために生きているのか考えてみたい人

作品説明

古民家の解体中に発見された日本人形。それはかつて戦国大名を滅亡させた恐ろしい呪いの人形「お梅」だった。お梅は人間のように思考し、手足を動かすことができる。また、瘴気(いわゆる古の毒ガス)を発生させたり、人間の心の中から負の感情を読み取り、それを増幅させることで人間を呪ってきた。

500年の時を経て目覚めたお梅は、また人間を呪ってやると意気込み、奮闘する。しかし、呪いが効かないどころか間違えて次々と人々を幸せにしてしまう。

果たして、お梅は現代人を呪い殺すことができるのか。

お梅と人間の視点がほぼ交互に描かれる構成で、お梅と関わった人間達の5つの話を収録。笑いあり、涙あり、伏線回収ありのハートフルコメディ。

凶暴で恐ろしい呪いの人形なだけじゃない!感情豊かで愛おしさすら感じるお梅の魅力を伝えたい!

呪いの人形「お梅」は不気味で恐ろしいはずなのに、現代社会に戸惑う様子や人間のように感情豊かな描写はかわいらしさのようなものがあり、非常に魅力的です。お梅の魅力についてお伝えしたいと思います。

まず、500年の時を経て目覚めたお梅は現代社会や様々なものに興味を示し、テレビを通して情報収集をしていくのですが、それらに対しての戸惑いやお梅視点での考えが非常に独特で面白いなと思いました。引用してご紹介します。

それに、道を時々通る大きな物体にも驚くばかりだった。それらは地面に接する部分が四つの車輪になっていて、中に人が乗っていて、すごい速さで滑らかに進むのだ。五百年前も牛車はあったが、現代のこの車は、何に引かれているわけでもないのに動く。いったいどうなっているのだろう。勝手に自分で動く車。「自動車」とでも呼ぼうか。うん、いいな、自動車。――お梅は自らのネーミングセンスに悦に入った。まあ現代人は別の呼び方をしているのかもしれないが、自動車という呼び方を提案したいくらいだ。

藤崎翔「お梅は呪いたい」祥伝社、71,72頁

現実からかけ離れすぎていて見ていられない、ということで言うと、もう一つそんな番組があった。

それは、てれび東京という局が昼間に放送していた、映画と呼ばれる動画仕立ての芝居で、『ちゃゐるどぷれゐ』という題名だった。

どうやら『ちゃゐるどぷれゐ』は外国の映画のようで、「ちゃっきゐ」という人形が、まさにお梅のように意思を持って動いて、人を殺すという筋書きだった。〔中略〕

ただ問題は、このちゃっきゐに、まるで真実味が感じられなかったことだ。

ちゃっきゐは、まず言葉を喋れる。お梅にとっては羨ましい限りだった。しかも、ちゃっきゐは人間の前でも動いてしまう。そして人間に向かって「殺してやる」などと堂々と悪態をついたりする。そんなことをしたらすぐ人間に捕らえられて破壊されてしまうと思うのだが、ちゃっきゐは人間と一対一で戦っても勝ってしまうのだ。元々殺戮に長けていた人間の魂が人形に乗り移っているという筋書きのせいもあるだろうが、それにしても本気を出した人間に勝ててしまうというのは、さすがにあり得ない展開だった。〔中略〕

結局、お梅は『ちゃゐるどぷれゐ』を途中まで見たところで、あまりにも現実離れした物語に不快感を覚えて、そのままちゃんねるを替えてしまった。

まったく、あんな映画を作られると困るのだ。本物の呪いの人形に迷惑をかけることにまで、ちゃんと配慮した映画にしてほしかった。『ちゃゐるどぷれゐ』を現代の人間がどれくらい見ているのかは分からないが、もし「呪いの人形といえばちゃっきゐ」というぐらいにあの映画が浸透しているのなら、現代人はお梅の本性を知ったところで、あまり怖がらないかもしれない。「こいつ、ちゃっきゐに比べれば弱いな」なんて思われてしまうかもしれない。

『ちゃゐるどぷれゐ』が、現代人の誰もが見ているというほどには流行っていないことを、お梅は願うばかりだった。

藤崎翔「お梅は呪いたい」祥伝社、85,86,87頁

同じ呪いの人形である「チャッキー」への人形視点の解釈は非常に面白いなと思いました。なにより、人形がひとりでテレビを見て勉強したり、娯楽を楽しんでいる姿は少し可愛いと思いませんか?

このように現代の文化や道具、時には自分と同じく動く人形を戦国時代の呪いの人形が見た視点が非常にユーモアをもって描かれており、著者の感性の豊かさに驚かされました

また、お梅が怖いだけでない人間っぽいところも紹介したいと思います。

「智希君、あの人形欲しい?」

雅恵が智希に尋ねた。それを見て、お梅は密かに期待した。雅恵のことを呪い殺すのはなかなか難しそうだが、持ち主が智希に代われば好機が巡ってくるかもしれない。大人を呪うのには失敗してばかりだったが、童なら少しは呪いやすくなるだろう。さあ、智希。私を欲しがれ――とお梅は年を送ったのだが。

「う~ん、いらない」

残念ながら、智希には拒絶されてしまった。お梅は元々、童が喜ぶ造形の人形だったはずなのに、今は不気味にしか見えないらしい。それに関しては、呪いうんぬんは関係なく、普通に人形として悔しい。殺人犯だって不細工と言われれば傷つくのと同じだ。

藤崎翔「お梅は呪いたい」祥伝社、208頁

そこ、傷つくんだ!?笑、人形としてでも悔しいんだ……笑ってしまいました。

人間を呪い殺してやるという負の感情マックスの恐ろしい人形だからこそ、こういったシーンはギャップ萌えというか人間っぽいというかお梅の魅力がさらに際立つなあと思いました。

読んだあなたもお梅の魅力に釘付けになるはずです。

呪おうと思っているのに……全てが裏目にでる展開はくすっと笑えるし、呪いの力によって起こる思いもよらぬ展開は心から楽しめる

本作は「ぷろろをぐ」と「ゑぴろおぐ」をのぞき、お梅がどうにか呪い殺そうとする人間とのお話が5つ収録されています。

小説の構成として第三者から見た人間視点の文章とお梅視点の文章がほぼ交互に展開されていきます。パターンとしてお梅がした行動によって人間の行動がこうなった逆に人間が行動したことが実はお梅の呪いの力による物だったと後から分かるものもあります

内容はネタバレになるため、あまり詳しく紹介できませんが、お梅が呪おうと思ってやった行動が人間(底辺YouTuberや最悪な失恋をして怠惰な生活を送る女、母の死を機に引きこもり生活を続ける男など)を喜ばせてしまったり、時には命を救ったり……。お梅の意に反してどんどん人間達が前向きになったり、幸せになっていく様子はまるでアンジャッシュのすれ違いコントを見ているかのようで非常に楽しめました。

また、「えっ、ここでのお梅の行動がまわりまわってこういう展開になるの!?」と驚く思いもよらない展開が多く、呪いの人形がやったことで人間が幸せになるという単純になりがちなパターンを崩してくれて最後まで飽きずに楽しく読むことができました

お梅本人は心の底から呪いたいと真剣に思っているからこそ、失敗してしまう様子はくすっと笑えますし、地団駄踏んで悔しがる様子や少し安直でしょと思える思考は恐ろしいを通り越して愛おしさすら感じました

きっとお梅を応援したくなるはずです!

お梅の呪いの力によって起こる出来事やどうやって人々の人生が好転していくのか、お梅の頑張り?(笑)はぜひ本作を読んでお楽しみ下さい。

後半はまさかの感動で涙?人生の悲喜に触れ、人生の本質について考える

前半から中盤にかけてはお梅の頑張り?虚しく、人間が幸せになっていくような喜劇的内容が中心ですが、後半は一転、重度の認知症で話すことも難しい男性患者の人生のどちらかといえば暗くつらい人生をふりかえるという展開になっています。

詳しくはお話しませんが、死ぬ間際に人生における大切だったものや希望に気づき、最後に奇跡を起こすという内容は私的に非常に感動的でしたし、「生きるって何だろう」と考える人たちにぜひ読んでいただきたい内容になっています。

また、その男性の死をきっかけに周りの人々の心情や行動が変化していく様子は、死後ではあるけれど、その人の人生が人の人生にかかわることができた証拠のようでグッとくるものがありました。

人生の本質について考えるきっかけになるかもしれません。

様々な伏線回収とシリアスな笑いも魅力的!もう一度読み返したくなるかも

7章(「ぷろろをぐ」と「ゑぴろおぐ」を除くと5章)から構成されているこちらの小説は気になるパートから読んで頂いても楽しめるのですが、数多くの緻密な伏線が張られているため、最初から順に読んでいくことをオススメします。(話自体も一応繋がっています)

こちらもネタバレになるため、あまり詳しいことはお伝えできないのですが、「ここでのこの人があの時のあの人なんだ!」とか、「こことここが繋がっていたんだ」など物語が進むにつれて様々な伏線が回収されていく本作は非常に上質なエンタメ作品だと思います。読み終えたら、また最初から読み直したくなるかもしれません。

また、著者が過去に6年間お笑い芸人として活動していたことも関係しているのか、お梅の考えや勘違い、文章中にもクスッと笑ってしまうようなシリアスな笑いが多くあり、非常に魅力的だと思います。

具体的に引用させていただき、紹介させていただきます。

アルバイトの契約書を書くのはいつ以来だろう。渓太は、引きこもり生活脱却の機会が突如訪れたことに、ただ感謝するばかりだった。

ああ~っ、くそっ、なんでいつもこうなるんだ!お梅は歯噛みして悔しがりたい気分だったが、歯がないのでただ悔しがった。〔中略〕

どんな仕事なのかはよく分からなかったが、柏田という男は仕事内容について「乳母みたいなもんだよ」と言っていた。正確には「乳母」が間延びして「乳う母あ」のような発音だったが、おそらく現代において「保育士」とか「べびゐしったあ」と呼ばれる職種だろう。〔中略〕

渓太がこれから始めようとしている仕事が乳母みたいなもの、すなわち子守であるなら、渓太はお梅を職場に連れて行って、童の気をひこうと考えるかもしれない。〔中略〕

そこで思い出されるのが、映画『とゐすとをいゐ三』である。あの序盤で、うっでゐ以外の、ばず、みすたあぽてとへっどなど、大勢の玩具たちが、だんぼをる箱に入れられて保育園に送られてしまい、小さな童どもに振り回されたり投げつけられたり、ひどい扱いを受けてしまう場面があったのだ。しかも渓太はあの日、とゐすとをいゐの一と二はちゃんと見ていたものの、三は序盤で寝てしまっていたので、あの保育園の場面は見ていなかったか、見ていてもろくに覚えていないのではないか。

となると渓太は、「お梅が童に破壊される恐れがある」ということをきちんと認識せず、安易に保育園に持ち込んでしまう可能性がある。〔中略〕

その点から考えても、やはり渓太が「乳う母あみたいな」仕事を始めるのは阻止しなければならない。〔中略〕渓太を引きこもり生活のまま堕落させる方が、破滅への近道のはずだ。

藤崎翔「お梅は呪いたい」祥伝社、161,162,163頁

配達の「Uber Eats」を「乳母」と勘違いしていることも笑えますし、たとえ保育士のような仕事でもそんな不気味な日本人形を保育園に連れていかないでしょというツッコミどころ満載の内容が最高だなと感じました。

もう一つ、「引きこもり男を呪いたい」の中から渓太が眼鏡を作り直しに行くシーンもぜひ紹介したいと思います。

「すいません、眼鏡が壊れちゃって……」

「あ、はい、かしこまりました」

若い男性店員にスムーズに案内される。思えば渓太は、他人と二ターン以上の会話をするのも久しぶりだ。そのせいで声が細くなっていたらしく、眼鏡の修理にあたっての会話や視力検査の際に、何度も店員から「はい?」と聞き返されてしまった。特に視力検査の時には、渓太が「上」とか「右」とか言うたびに、店員が「はい?」「すみません、どちらですか?」と聞き返すので、まるで渓太の視力検査と同時に、店員の聴力検査もしているかのようになってしまった。

藤崎翔「お梅は呪いたい」祥伝社、153頁

このようなシリアスな笑いが盛り込まれたシーンが他にも多数あり、個人的に「クスッ」と笑ってしまいました。藤崎翔先生ワールドを感じてみてはいかがでしょうか。

2.まとめ

〔前略〕いいことが立て続けに起きた。でも、よく考えたらその前が不幸すぎたのだ。人間、どんなに嫌なことがあっても、生きていればいずれ必ずいいこともあるのだ。

藤崎翔「お梅は呪いたい」祥伝社、117,118頁

作中の一節です。ふと「なぜ生きているのか」考えることがあるのですが、私は「人生の中で多くはない一瞬の煌めきのために生きている」のだと考えています。そのため、こちらの言葉は非常に印象的でしたし、嫌なことがあっても必ず良いこともあるから明日も頑張って生きてみようと背中を押されました。

また、作中の人物の多くはお梅と関わることで人生が好転していくわけですが、好転のきっかけはお梅にあるとしても、その後の人生は自分で行動するなど自身で切り開いていることも印象的でした。

幸せになるチャンスを掴む力も勿論大切ですが、それと同じくらい最終的に自分の人生をより良く出来るのは自分しかいないのだ、だからこれから訪れる幸せのためにも頑張るしかないのだと私はこの小説を読んで改めて感じました

沢山笑って、読んだ後には自分の生き方や生きている意味とも向き合えるそんな一冊でした。魅力満載の作品だと思うので、本当にオススメです。是非、手に取って読んでみて下さい。

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